クロワッサンと外科医

コーヒーと一緒に。

舞台「シカク」を観ました

ふせったーでもいいんですけど、久しぶりに引っ張り出してきたブログにしたためようと思います。

  • 1.前半について(ふせったーコピペ)『この世でまともな人間は一人もいないのでは』
  • 2.後半から最後まで観た感想『思考を追いつかせるのに体力と糖分がいる』
  • 3.全体を振り返って『シカクという概念と立方体』

 

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1つの終わり

明日(というかもう今日)仕事なんだけどこればっかりは今書かないとどうにもならないと思った。


2018年7月8日の関ジャムをもって、渋谷すばるがいる7人の関ジャニ∞としてのテレビ出演が全て終わった。自分の中で初めて「生きた何かが終わった」気がした。


そもそもJなんて顔の区別つかないしよく分からないし、少しのグループ名と少しの有名曲しか知らない、というようなおよそ芸能界のキラキラからは遠かった私を一気に方向転換させたのが関ジャニ∞だった。

まずはドラマから、次にCD、さらにDVD、そしてテレビを録画し人を歌声を覚えて…とそれまで二次元にばっかり向いていた熱量が現実と同じ時間軸へも向いた。

自分でもびっくりだと思う。ちゃおを読み、友人の勧めで少年漫画にもハマり、無事に厨二病を発症してそのままになるかと思いきや、そのまさかの中2で「関ジャニ∞」と出会った。小6の私、まさかだぞ。


とにかく、とにかく私は彼らの歌が好きだった。生放送の時には音程にハラハラしたり「うーん」と思ったりしたこともあったけれど、テレビの中でキラキラ輝いて笑って踊っている彼らは何よりの薬だった。

落ち込んでいても、普通の日でも、楽しい時でも、どんな時でも彼らの存在は自分の中にあった。街でメンバーカラーっぽいものを見つければニヤニヤしたし、マークや名前に関連するものを見ればそわそわした。ラジオも聴いた。雑誌もたくさん買った。CDもたくさん買った。彼らは私にたくさんの初めてをくれた人たちでもあった。


渋谷すばる。7人の中で「歌の大黒柱」だったと私は思っている。彼が歌えば誰かのハモりがあったし、誰かが歌えば彼のハモりがあった。歌も作った。1人でも舞台に立った。映画にも出た。でもやっぱりメンバーとわいわいしている小学生のような彼を見るのが1番好きだった。

横山さんとたくさん旅行に行ったり、村上さんと地元トークしたり、丸山さんと不可思議な空気で通じあったり、安田さんと曲作ったり、錦戸さんとはにかみあったり、大倉さんとゲラゲラ笑いあったり、ピンクのあの人とくすくすしあったり…

もうそんな光景が見れない。

私の中のアイドルが1人いなくなった。

こんなにも大々的に見送られてアイドルとしては幸せなんだと思う。なかなか無い事だと思う。でもまだうまく飲み込めない。

最後の最後に歌ってくれたLIFE〜目の前の向こうへ〜に「もう1回 もう1回 君がくれた笑顔で笑いたい」とある。渋谷さんがくれたたくさんの想いと笑顔をまだもらいたい、彼とまた笑いたいし、7人が笑っている姿を見ていたい。「まだまだ終わらないから」、終わらないのは各々の人生だけど、7人としての歴史は時間は終わり。どうやったって続けられない。どうにもならない。終わったんだもの。


最後の関ジャムの冒頭で、錦戸さんが「楽しい時間にしたいですね」と言っていた。みんなが印象的なセッションを挙げていったけど、全て「渋谷すばるが参加したセッション」だった。もちろん渋谷さんが参加してない回もあったけど、それでも全部渋谷さんが参加したものがピックアップされたし、コメントも彼に関するものばかり。そりゃそうだよ。完全に前半は「渋谷すばるが大好きですコレクション」だった。

そんな「楽しい時間にしたいですね」と言った錦戸さんがロマネスクで声が震え、LIFEでは涙を流した。何となく、それが嬉しかった。泣いていいんだなって思った。丸山さんは顔を赤くしながらベースを弾いていた。大倉さんはそんな丸山さんを元気づけようとしながら笑顔で叩いていた。でもずるいのは「あの日交わした約束をずっと覚えているから 涙堪えて」で渋谷さんに手を伸ばしたところ。まるで「確かに交わした何かの約束」がそこにあるようで、涙が止まらなかった。「堪えて」って歌われたけど無理だよ。堪えられるはずがない。


もう書くの疲れたし明日本当に大変なことになりそうなので終わるけれど。6人1つをきちんと飲み込める日が来るのはもう少しかかりそうだけれど、それでも6人が7人が8人が自分の未来を進むのを見守る。

私が惚れた関ジャニ∞は世界一かっこいい。


何書いてんだか分からないけどどうせ後で自分で見直して恥ずかしくなるだけの文章だからどうでもいいか。


渋谷すばるという1人の男が未来に一歩進んだ瞬間をリアルタイムで見届けたことに感謝を。私が応援している彼らがどうか幸せになりますように。


2018年7月9日 目を腫らした布団の中から

文スト外伝を読みました。(ネタバレ含)

1月末に発売した「文スト外伝」を読みました。

まさかあの2コマが1冊の本になるとは夢にも思いませんでした。「本編でちらっとでてこないかな(笑)」くらいにしか思っていなかったのにまさか独立して一冊になるとは。そして発売記念イベントまで開かれるとは。

 

読んだならば感想を書こうじゃないかとパソコンを立ち上げた次第です。

時系列無視でメモ書き程度の感想ですが、ネタバレを含みますので未読の方やバレが地雷な方はお控えください。

 

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(盛大にネタバレ含)KKP#6 TRIUMPHを久しぶりに観て

作業のBGMにと思ってかけ始めたKKP#6「TRIUMPH」

流し終わった後に色々思い浮かんだものをつらつらと書いてみようと思ったら勢いのまま数年ぶりにブログ作ってしまった…twitterは140字に区切るのがいちいち面倒だから思い切って。

これまでtwitterで好きかってに呟いてきたのにどうしてかというと「観た後に小林賢太郎が制作に関わった作品で初めて違和感を覚えた」から。ラーメンズKKPもポツネンも大好きでいつも満足して観終わるのに、今回は満たされた部分と満たされていない部分があったから。文末が「ですます」とそうじゃないのが混ざっていたり、文章の解釈がしにくい部分もありますが、読んでくださるかたはよろしくお願いいたします。

 

まずは満足したところから。

ふみ姐さんかっわいい。かわいい。衣装がかわいいし、髪型もかわいい。かわいいがゲシュタルト崩壊するくらいにはかわいい。KKPのふみさんのキャラで1,2を争うかわいさ。マチさんかメイドさんか。「お前のオメガをロレックス!」(笑)

犬飼さん、是非家の執事になっていただきたい。そして一緒に書き割り道楽やりたい。最終的にはキャビア丼とフォアグラの佃煮作って一緒に食べたい。

カフカ君に至っては言わずもがな。30越えてる男の喋り方なのかあれは…小林賢太郎恐るべしと改めて思う。喋りだけじゃなく格好も動き方もいちいちかわいい。2008年だから「DROP」と同じ年。その時も髪長めだったなあとあとから調べて思いました。あとあの衣装はなんですか????カンカン帽…30過ぎてカンカン帽って…ぴょんぴょん跳ねが付いている髪型も相まってかわいらしさカンスト。なんなの、本当になんなの…

馬鹿っぽい最初のキャラも、クズっぽいところもかわいい。

 

舞台装飾も他の公演と違う。どこかサーカスとか芝居小屋を連想させるようなレトロっぽい感じ。フライヤー・ポスター・円盤パッケージもそんな感じだった(はず)。本公演やポツネンさんみたいなモノトーン中心の世界じゃあなく、KKPは色がたくさん入っていたり装置やセットがとにかく「作り込まれている」感じ。KKTV1のドキュメンタリーでちらっと写っていたのも確かトライアンフの資料が入ってたはず。こういう雰囲気がとても好きなので恐らく生で見てたらきっと写真撮りたくなってたんだろうな。

 

印象は「ストーリーが織り交ざったマジックショー」。とにかくマジックがいたる所に織り交ぜられてる。もうもはや話よか手品がメインかと思うくらい。魔法使い出てるんだから当然っちゃ当然なんだけどね。私でもできそうなものから大がかりなものまで。仕組みが分かるものもあり、「小林さんらしい」とにやにやしながら見てました。トライアンフ(わんこ)の首輪は後に「ポツネン氏の奇妙で~」に使われた球根ちゃんのあれですねきっと。他にも「P」とか「P+」で演じられた「DIVER」という作品にも似た舞台の仕掛けの場面もありました(内容的には全くもって違うけども)。小林さんの引出しは一度だけでなく色々組み替えられて何度も使われているということか。

 

魔法使いの作り方全100巻…1巻の時点でもう不可能に近かったのによくできたな使用人たち…モアイとバミューダトライアングルが材料なのも中々にミステリーでした。

 

ふみさんが後半でいった「そもそもの環境が人を成功させるんじゃない。環境ではなく、その人自信が頑張ったかどうか。天才かどうかじゃない、努力したかどうか」という内容のセリフ、恐らく小林さん自身が世の中に言いたいことなんじゃないかと思ったりします。「小林賢太郎は天才だ」「センスがある」と、言われることの多いであろう小林さんが言いたいことなんじゃないかなあと。KKTV見れば努力してることとか考え方とかが少し覗けますが、でもやっぱり「天才だなあ」って思っちゃうのはもう、仕方ない!本人もKKTVで「僕に思いついたものはみんなできること、気付いていないだけで」(意訳)とおっしゃってましたが、そのことに「気づく」「できるまでやる」「形にする」というのが小林賢太郎の「天才」の部分であり「努力」の部分なんだろうなと改めて思います。

また、途中ででてきた「劇場マナー講座」は耳が痛かった!(笑) 公演の度にきっと小林さんたちが思ってることなんだろう。わざわざ本番中にネタといえど組み込むんだからそうとうだよねえ。着信と遅刻の席探しって本当現実に戻ってしまう。遅刻はもう色んな事情があるから飲み込めることも多いけど、スマホの画面を隣でつけられようものならもうずっと気分下がったまま。最近「うるう」でもそんなことがあったとTLに回ってきました。どうにかならないかな。海外のオケを聞く時みたいにクロークに預けるようにできたらいいのに!自分自身も演奏会でステージにいる時に着信音とかなった時はもう「あー!!曲に入り込んだのに戻された!!」ってなる。そして大体静かな時になるから雰囲気が…袋のがさがさ音とか大音量の着信って多分ご年配の方が多いのではないかなと。初期設定の「ピリリリ!!!!!」が多いので。「マナーモードの仕方が分からない」とか「喉渇いたから」とかそういう話を実際聞きました。電源を切るって考えは、ない、のか…

 

話しが脱線した…「なんかディズニーっぽい?」って思ったこともありました。最初のカフカくんの生い立ちをやっている後ろの演出とか、仕切りを動かして行う演出とか。舞台の装飾もそうですが。いい意味でKKPらしくなくていいなとも思った部分です。

 

ひまわり畑の中にいる部分はカフカ君の睡眠中の夢だったんでしょうか、それともトライアンフがかけた魔法が作用した夢なのでしょうか。後者かな。なんにせよ、その場面の始めにトライアンフが喋る場面、他の縁者さんたちの声で構成されてたのに感動しました。繋ぎ合わせてある、すごい。カフカ君はトライアンフの声を聴いたことがなかった。だから夢の中で話しかけられた時にトライアンフの声の情報が自分の中になかったから、その周りの人の声で補われたんじゃないでしょうか。

 

 

 

(以下ネガティブな感想を含みます。)

 

 

 

 満足できなかったというか「?」と思った部分

 

まずは、この舞台で伝えたいことが分からない。何を表現したかったのか?

手品を魅せたかっただけなのか?マジックショー?いやいや。なんなのか。全然分からない。

なんでカフカ君は魔法の力を習得することを目指そうとしたのか?報酬が金貨だから?それだけじゃあ弱いような。そんなにお金が必要だったか?アイドルちゃんたちの資金にするため?むしろ泣いちゃうほど「就職したい」って言ってたから「仕事をあげる」とかそういうことは?もしかしたら、あの魔法修得の中で「働いてお金をもらうとはそういうことか」をさせてたのか?でも雇ってるんじゃなくて頼んでカフカくんを引き止めてたし…全然分からない。

他にもひまわりのくだりだけであっさりあの家に戻ってきたけど君はそれでよかったのか…使用人たちが諦めかけた時に「あきらめるな!!!!」と怒鳴りながら頑張ってたけども、カフカ君はそこまであの3人に情が芽生えていたのか。判断材料が小さかったり拾い切れてなかったりしてどうにも分からなかった。

 

そして結局カフカくんは何になったのか?あの物語で何を得たのか?

何かこう、筋が通っていないわけではないんだけれども、どうも何かが薄い。「ただ見てる側なんだから何様なんだよ」という話ではある。でもぺパランみたいに大きな夢や目標を達成したわけではない、ロルシャみたいに各々登場人物が変わっていったわけでもない。「何かが変わってどうなった」という構図がはっきり分かるのに、カフカ君はいまいち分からなかった。何になったの?立派な社会人?でもそれだと「可もなく不可もなく」な一社会人になっている気がする。空っぽな人間が中身が入ったただの人ってことなのか?うーん?とても悪い言い方をしてしまうと「空っぽなクズニート」が「社会の名もない一歯車」になっただけ。同じような引きこもりだけどロルシャの雨森くんはもっとガラッと変わった。ただの気の弱いクズニートでマザコンだったけど、自分の得意なことを活かして頑張った。

でもカフカくんは何ができた?時間が経った後に魔法がかけられた。就職して社会適合者になった。でもそれで終わり?やりたいことを見つけられたならそれを明示してもいいと思う。小林さんの作る作品は見る側に「考える・想像する余裕を持たせてくれる」作品が多い。だから面白いし、大好きだ。でも今回はどうにもしっくりこない。カフカくんが夢を持てたとか、何か具体的な職業についたとかじゃない。魔法の力が消えてなくて弟子になったわけでもない。「普通の社会人になれた」ということが分かっただけ。何が伝えたかったのか何かに書かれてたりしないかな…

とにかく、通して観た時に「作りが甘い?」とか至極失礼なことを思ってしまった。これは悪い意味での「らしくないな」と思った点でした。セットとかが作り込まれてたからなおの事比較で思っちゃったのかな。

 

 

(ネガティブ終わり)

 

 

この舞台のテーマってもしかしたら「最初から何もかもをあきらめている人たちに伝えたいこと」ということなのかもしれない。

肩書きこそ社会にあれど、身分なんて関係がないこの現代社会でも、やっぱり「生まれた環境のせいにして成功や努力をあきらめている人」がいる。家にお金がある、ルックスがいい、良い学校に通っている、良い機会を与えてくれる人がいる、もしくは良い機会がよく巡ってくる運を持っている。こういった「何か」がないと努力すらせず諦めていく人たちに「とりあえずでいいからまずやれ」っていうことなのか。前半でも書いたメイドさんのセリフに言いたいことが詰まっているのかな。

「やらないのにやってないのに環境のせいにして諦めるな」ということかな。

 

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